日本は、最近芸能界でも、悲しい事が起きています。自らそういった悲しい選択をしないようにするため、また、独善的に加害者にならないため、心の在り方というか、良くない選択をしないための、心の準備というものを、考えていきたいと思います。
心のバランスを考える
ただ、ボクは本気で人生を終わらせる事を考えたことはありません。本当に悩んでいる人から見れば、「無責任な事を言わないで欲しい」などと思われるかもしれません。声高に「そんなのよくないよ、絶対ダメ」とか「生きてればいい事もあるよ」とか「周りの人が悲しむから駄目だよ」とか言っても、説得力がないかもしれません。だからと言って、そんな意見はまったく意味がなく、だからそんな事をいうボクは使えなくてダメなヤツなのでしょうか?
八百万の神の話
世の中には、主観、客観、文化、経験、個性などから、色々な考え方があり、それら個性が集まり、多様性の社会が出来ていると思います。「ああ、きみはそういう意見か。そんな考え方もあるんだね。」こうして、世界中の人が、意見が違う他の人の事を認められれば、いいですね。
一つたとえ話をします。日本は昔からの宗教観で、「八百万の神」というのがあります。木や山やその辺の石ころから始まって、トイレや受験、恋愛と、様々なところに神様が宿っているというアレですね。そうして色々な神様を受け入れた結果、「年末にクリスマスでキリスト教、大晦日にお寺で除夜の鐘で仏教、年始には神社で初詣で神道」と、1週間で3つの宗教イベントをこなす、世界でも類を見ない国になっています。何が言いたいのかというと、「日本は、色々な考え方を受け入れる考え方、土壌が出来ている」と言えるのかなと思っています。
心の客観性とは?
しかしながら、日本は、とても悲しい事が多いと聞いています。社会システムに抗えない部分もあるとは思うのですが、それにも増して、各個人の考え方、選択の取り方が、利己的、独善的に偏りすぎているのではないか?と思っています。
一つの事を信じ、それに邁進する。それも素晴らしいのですが、非常に主観的で、独善的になる可能性を秘めています。自分の信じる道を進むこと。それはそれとして、そこから1歩引いて、あるいは俯瞰で見て、己の立ち位置を客観視する。こうやって、心に客観性を持つことで、自分の意見や選択が間違った方向性に進んでないか?考えるクセをつけられればいいのかな?と思っています。
乳酸菌の話
突然ですがみなさん、腸内フローラってご存じですか?(笑)最近は健康ブームでもあるので、この言葉を聞いたことのある人は、多いかと思います。腸の中には、たくさんの菌がいて、それが我々の健康に、大きな影響を及ぼしています。腸内細菌には、善玉菌、悪玉菌、に加え、善玉、悪玉、どっちに味方しようか?と常に状況をうかがっている日和見菌がいるそうです。そして、健康に良いとされている、それぞれの菌の理想的な割合は、次の通り。
「善玉菌:悪玉菌:日和見菌=2:1:7」
そして、様子見をするといわれている日和見菌が、善玉菌の味方をしている状態が、理想的であると言われています。ここで、個人的に思う事があります。それは、
- 悪にカテゴリされる菌がいて、理想比率に組み込まれている事
- 日和見菌の存在により、全体が善にも悪にも傾く事
悪が必要ってどういうこと?
昔の学園物のマンガなどでよく使われたエピソードで、ありがちだった話にたとえてみたいと思います。
とある学園がありました。そこには、風紀委員会がいて、いつも規律が乱れないように監視していました。全校生徒も彼らに従っていましたした。それをよく思わない不良番長たちもいましたが、学園全体は、風紀委員のおかげで、とても安定してました。
ある日、学校の校庭に、学校外の人間と思われる不良たちが襲ってきました。平和な学校は、たちまち大パニック。風紀委員会は、お坊ちゃん風であったため、「みんな、お、落ち着くんだ、ひぃ~!」と言うだけで、役に立ちません。
そこで満を持して出てきたのが、この学園にいた、不良番長。彼らは、校庭にいた不良に立ち向かいました。その姿を見た生徒たちも、応援したり、警察に通報したり、各々武器をもって立ち向かったりしました。その結果、校庭の不良を追い返して、学園は事なきを得ました。そしてまた、風紀委員が納める平和な日常が戻りましたとさ。
つまり、こういう感じですかね?
- 善玉菌:風紀委員:全体を監視して、善い状態を保とうとする
- 悪玉菌:不良番長:緊急事態に力を発揮する
- 日和見菌:全校生徒:状況を判断し、より良い方に加勢する
日和見菌から考える修正力
我々の心は、日和見菌的であるように思います。だって、善にも悪にも傾くのですから。ですが、腸内フローラの理想とされる状況は、「日和見菌が、善側に味方している状況」なのです。生きて行く上で、日和見菌が悪玉側に傾くことも当然あると思いますし、必要な事なのでしょう。しかし、それはあくまで緊急事態でのお話。日和見菌が、「悪玉に傾いた状況から、また善玉側に戻れる」ということを知るべきだと思います。何が言いたいのかというと、
- 心とは、善にも悪にも傾くものである
- 悪に傾いた心も、善に戻る手段がある事を知る
- 客観性を以て心の傾きを捉え、修正力を発動させる足掛かりにする
- 弱きに傾いても、そこから戻ってこれる修正力があるヤツが強い
- 失敗し、弱気に傾いても、それをネタに、ブログで稼ぐ
タロットカードの話
ソード8
目隠しされ、身動き出来ない人物の絵柄です。
- 目隠しで、周りがよく見えない
- 地面の状況から、困難な道のりである
そんな状況が伺えます。しかし冷静に見ると、
- 背面、7本の剣の間から、城に戻る道がある
- 前面、1本の剣を避ければ、いくらでも道がある
- 地面の水たまりを避けて行ける道も選べる
助かる道があるのに、何かがあなたを盲目にさせている
カップ5
喪失感にうなだれる、人物の絵柄です。
- 目の前の3つのカップは倒れ、元に戻らない
- 黒いコートでうなだれ、絶望感を漂わせている
そんな状況が伺えます。しかし、冷静にみると、
- 背面にはまだ、こぼれてない聖杯が2つもある
- 場合によれば、前に流れる川から水を汲んで来れる
眼の前の事に捉われ過ぎ、周りを見渡す冷静さを欠く
スター
- 自分が衣服をまとっていない事を全く気にしていない
- 「水を汲むこと」を一心不乱にやっている
- 鳥は、特に気に留める風もなく、ただ眺める
大アルカナの「星」。
- 人があなたをどう思っているか?を気にしない
- 人は、あなたが思うほど、あなたを気にしていない
- 人がどう思おうと、自分の信じる道を行く
生きがいを見つけ、そこに「希望」を見出す。
失敗してよかった話
色々と事を終わらせようとした人たちの中で、まれに、それに上手く行かなかった人がいるそうです。その理由は、ヒモが切れてしまったり、木の枝が折れてしまったりで、結局失敗してしまった。そういった人たちのほとんどが、みな、口をそろえて、こう言うそうです。
「あの時、失敗して本当によかった」
七輪と練炭とさんま
ウソかホントかわかりませんが、某掲示板に書かれていたお話です。
人生に疲れ、非常に思い悩んでいた人がいたそうです。色々どうしようか悩んでいたところ、ふとしたことから、その人は思いました。「そうだ、練炭を買いに行こう」と。
早速ホームセンターへ、七輪と練炭と、ガムテープなど、必要な品物を買い込みました。ホームセンターの店員さんが、じろじろと、怪しそうに自分の事を見たそうです。でも、そんな人の目も、もう関係ない。自分はもう・・・悲しんでくれる人はいるかな?そうだ、思い残すことを、文章に認めなくては。そうだ、きちんとお風呂に入って、体をきれいにしなくちゃ・・・
色々な事を考えながら、自分の住むアパートへ向かいました。帰る途中、商店街を通りました。ホームセンターから自分のアパートへの通り道だったからなのですが、普段となんら変わらない商店街の営みに、なぜか寂しさを感じました。
ふと1軒の魚屋さんの前に差し掛かりました。「サンマが安いよ~」魚屋のおっちゃんが、声を上げながら売っていました。そうか、今は秋。サンマがうまい時期か・・・
「おっちゃん、さんま1匹欲しいんだけど。」
「はい、まいど~」
自宅のアパートに戻った彼は、早速、サンマを焼く準備をしました。
さっきホームセンターで買ったばかりの七輪に練炭を入れ、火をつけました。そして、新鮮なさんまをアミで焼きました。丁寧に丁寧に焼きました。
七輪で丁寧に焼き、脂ののったサンマは、めちゃくちゃうまかったそうです。
「こんなうまいと思わなかった、また食べたいな・・・」
「もっと、頑張れるかな・・・」
こうして彼は、今も、なんとかやっているそうです。よかったね!
最後に
人間は、理性的であり、感情的でもあります。
人生、大なり小なり、色々な選択をしながら生きています。その選択肢を、理性的にじっくり考えて決めるのか?感情的にその場の勢いで決めるのか?どちらが正解と言えないのが、人生の選択の難しところです。
周りの人で、あなたの事を助けてくれたり、相談に乗ってくれる人もいるでしょう。でも、基本的に、自分がどの選択をするか?最終的にどうするのか?どの道を行くか?決めるのはあなた自身です。
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